この「Global Communication-Peer learning with foreign students-」を受けることになったのは、同じコマにある「バイオテクノロジーの世界」の抽選に落ちたことが大きな原因であった。月曜日の時間割を考えた際、この5・6講時が空きコマになったとしても9・10講時の「中国語初級」まで大学に残らなければならない。「何か他に受けられる講義は無いのだろうか。」という、消極的な理由でこの講義を受け始めた。
講義室に入ると、椅子が円形に並べてあった。内容はCommunicationという名の通り自分の意見を英語で述べるという、今までに経験したことのない形式の講義であったため初めは面食らった。初めの3回ほどは英語を考えるのに必死だった。自分の番が回ってくるまでに、考えを思いつき、それをまとめ、さらには英語にするという数段階を経てなんとか自分の意見を述べることが出来た。しかし、この時はまだ「自分の意見を述べた」に過ぎなかった。これからを見据えると、本当に必要なのは「相手の意見を受け取り、自分で考え、相手に伝える」ことだと思う。この講義を受け始めた時点での私は、中学校、高等学校と英語を勉強してきて得意科目と自負していたので、話すことも出来ると思い込んでいた。これは単なる思い込みであった。「読み書きが出来るだけでは話すことは出来ない」ということを、この講義で思い知ることとなった。それに、会話で必要とされる英単語は、受験で必須とされる数では到底足りない。受験のために単語を覚えた際も「こんなに詳しい違いはそれほど重要ではないだろう。」と思っていた。大きな間違いであった。今回の講義のように、討論では一つの内容について深く掘り下げる。必要な単語はいくら覚えても余ることはない。英語の勉強には終わりがないと思った。
生徒と市民と外国人が討論に参加するのも新しいことだと思う。大学生活を普通に送っているだけでは、同世代とばかり過ごしてしまう。異なる世代、異なる国籍の人と交流を持つことで、今までに知らなかった知見を得ることが出来た。
意見を述べるという観点では「自分の意見がない」ということも大きな課題だ。10年以上教育を受けてきている私はこれまでに様々なことを学んだ。しかし「地震の際にどこに逃げますか。」や「戦争は誰が意図して起こしましたか。」と聞かれると「それについては考えたこともなかった。」というのが正直な感想である。義務教育にも問題があるのではないか。先生が本当に教えなければならなかったのは、生徒が本当に教わるべきなのは、実生活について考えることではないか。学ぶという姿勢を刷り込まれてきた私たちは、大学に入学してからの学習に躓きやすい。これは、先生という存在が生徒に与えてくれるものとばかり思い込んでいるからではないか。大学はそんなに親切なところではない。自分で何かを得ようとする姿勢こそが、私たちにとって本当に必要なものではないか。
以上のことをまとめて「この講義を受けて何を学んだか。」とする。この講義を受けて学んだことは5つある。相手の意見を受けて自分で考え伝えるというcommunicationの基本を身に着けることの必要性、会話に必要な水準の単語は入試よりもずっと高いものだということ、討論する相手が同世代の大学生だけよりも、市民や他国籍の人との討論こそ価値があるということ、発信できるだけの自分の意見を持つ必要性、新しい知見は誰かが与えてくれるものではなく自分から得るものだということである。この講義は、新たな学ぶ姿勢を得る機会であった。
0 件のコメント:
コメントを投稿